こういうことがありましたシリーズ

【Instagram:2023年3月15日投稿分】

動物達が辛い想いをすることのないようできることをする。

・目の前の困っている動物に手を差し伸べる。

・辛い想いをしている子達がいるということを啓発する。

大きくこの二つに集中している。

啓発のためにSNSを活用している。

SNSやニュースは炎上した投稿や犯罪などが嫌でも目に入る。

「そんなの見てる暇はねぇ!そんなことより動物を幸せに導かなきゃ!」という意見はごもっともだがそういうわけにもいかない。

サラリーマン時代、上司から電話があり開口一番に「今日の株価は?」と聞かれ答えられなければボコボコにされていた。

常にアンテナを張っておかないと時代の流れに取り残される。

動物問題を解決するために必要なことは「道徳心」だと思う。
それが根元だと思う。

命を蔑ろにできるのか?

命に限らず、会社の商品でもそう。

子供が一生懸命作った砂のお城を踏み潰せるのかどうか。

育ってきた環境や、親の教え、学校の教えが影響してくるかもしれない。

僕は潰せない。

潰せ!と命令されても
「アホか?子供が一生懸命作ったお城を壊せるわけないやろ?」
と答える。

どこの誰かから教えてもらったかもわからないことが自然に身に付いている。

でも
「潰せる」という人もいる。

「いやいや、そんなことしたら子供悲しむやん?」

「何で?子供悲しむから面白いやん!」

その人にどのように説明すればいいかわからない自分がいる。

「引越しに動物も連れてってあげてよ…」

「え?引越しの時って動物は捨てるもんやん!」

この感覚のズレが問題。

ぶん殴って
「ほら!痛いやろ!悲しいやろ!お前がしてるのはそういうことや!」というのも違う気がする。

そもそも自分の感覚が正解なのか決まりがない。

また、こちらにも相手にも正義がある場合、とてつもなく悲しい戦争まで起こる。

僕は大袈裟なことを言っていると1ミリも思っていない。

このズレが動物にも大きく影響していると思っている。

数年前
「番犬!賢いね!お仕事してるんだね!」

「番犬?虐待じゃん!」

どちらが良くてどちらが悪いことなのか統一化しようと刑を重くしようという声もある。

「人を殺したら警察に捕まって死刑になるからダメだよ」という教えはこれもまた違うような気がする。

相手の家族や生きてきた歴史を考えると殺せない。思いとどまる。

それが「人」であってほしい。

相手の気持ちを考える。

答えは至ってシンプルなのかもしれない。

虹の橋の麓が本当にあるのならば、みんなで渡る時に胸を張っていたい。

そういうニンゲンになりたいと思う。

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