【たまには自分のこと】
動物保護施設をしていると
飼い主様の死、動物達の死に直面します。
今日は私が強烈に死を意識した時のお話です。
死を意識することで普段どのように生きていくかが変わってくるかもしれません。
1999年7月、人類は滅亡する。とノストラダムスが予言していました。
その予言を知ったのは確か私が小学4年生ぐらいだったと思います。
死ぬ。
二度と目覚めない。
動けない。
この辺りはわかっていたことでしたが、ちょっと待てよ……引っかかったのは、
「この意識はどうなる?」
ということでした。
この頭か心で考えている意識はどうなる?
お腹すいたな、おやつ食べたいな、眠たいな、楽しいな、悲しいな、あの子が好きだな、ワンちゃんかわいいな、猫ちゃんかわいいな、
死にたくないな。
幽体離脱?のように意識だけふわりとお空へ上がっていき、天国か地獄で意識の集合体、魂として生きるのかな?
え? いつまで?
魂だけで永遠に意識を持ってる状態で存在する。
これはこれで途方もないような気がしました。
魂になって他の魂とお話しする。ネタはない。飽きる。
これが永遠に続く。
そう考えているとなんだか怖くなり、一人布団の中で泣き出したのを鮮明に覚えています。
それから兄の布団に潜り込みました。
兄は泣いている私に、
「何?どうした?」と聞きました。
私は兄に
「人って死んだらどうなるん?」と尋ねました。
兄は周りの友達からめちゃくちゃクールなやつで通っていました。
だから答えも超クール。
「無になる」
私は頭にハテナマークを出して無について兄に問います。
「無って何?」
兄は少し面倒臭そうに
「無は無。なにもないってこと。なにも無くなるってこと」
私は半ばパニックになり
「じゃあこの気持ちは!?」
兄は、もう眠たいのに勘弁してくれよと言わんばかりに
「だから無やって。その気持ちも意識も全部無くなる」
気持ちが無くなるってどういうこと?
ダメだ。怖すぎる。
無くならないのであればそれは永遠にあり続けるわけでどっちにしろ
死=無が恐ろしくなりました。
それから何十年と死について考えることはやめていたのですが、考えざるを得ないことが起こりました。
私は物心ついた頃から、頸部に静脈奇形というものがあります。
幼少の頃から心臓血管科、循環器科、皮膚科、色んな病院に行きましたが症例無し、原因不明、それが何なのかさえわかりませんでした。
見た目は首に大きな青痰があります。激しい運動をすれば大きく腫れ上がり、痛みが出てきます。
命に別状はないので30年ほどその奇形と付き合いました。
その30年の間にわかっていたことは季節の変わり目に入ると何もせずとも痛みが増すということ。
今から4年前ぐらいに、痛みが我慢できないぐらいになりました。
右頸部から右鎖骨、右顔面、が常に痛む状態。
やはり病院は三つほどいきましたが原因不明。
医師は「う〜ん」と分厚い医学書をペラペラめくる様子に飽き飽きしていました。
これはいよいよ危ないかも……と思いだした時に行った病院で、
「これは……静脈奇形ですね。首にできるなんて珍しい」
この時に初めて病名が「静脈奇形」ということを知りました。
まさに一筋の光が差しました。
大阪で有名な大学病院で硬化療法をしてるということを教えてもらい、その病院で治療がスタートしました。
MRIや造影剤を使い絡まった血管の流れを見てもらい、そこに注射で血管を固めるという術式。
外科手術となると血管が気道をドーナツ型に巻きついているため無理ということでした。
全部で14本の硬化剤を打ってもらい30年付き合ったものが無事完治となりました。
話が戻りますが、この時も場所が首だけに色んな覚悟がありました。
職場でも入院前に業務内容を引き継いだのですが、「最悪帰って来れんかったらごめん」などが口癖になっていました。
子供の頃は死が単純に怖く無に帰すことが理解できなすぎて恐ろしかった。
本能で生きている動物達なんてもっともっと恐ろしいことだと思います。
大人になってからは、【自分が去った後の世界】が怖くなることに気付きました。
恐らく、妻やうちの動物達が辛い思いをさせる。
職場ではみんなに迷惑がかかる。
そっちの方が怖いかもしれない。自分のせいで周囲が傷つくのは自分が傷つくよりはるかに辛い。
余命宣告をされたわけじゃないので真の意味では死の恐怖は理解できていません。
ただ、自分が去ると残るものに対して迷惑をかける気持ちは理解できていると思います。
冒頭で書いたとおり、飼い主様の他界が多いです。
その方達は、まさか自分がと思っていただろうし、ものすごく怖かったと思う。
家族を残していく恐怖、友達を残していく恐怖、本当に怖かったと思う。
今、この恐怖が世界中で溢れてます。
ワクチンができたり、抗体ができたり、解決方法は科学的なことかもしれない。
恐怖に震えている人の安全や、治療中の人々の回復、なんの足しになるかわかりませんが、ただただ願うことしかできない。
死を考えれば怖くなる。死を考えることで変わる行動がある。
死ぬ前にまだまだやりたいこと、やらなければならないこと、できることがある。
死なないように生きる。
死なせないように生きる。
幸せになるために生きる。
幸せにするために生きる。